会社紹介
companyやすらぎとゆとりのある暮らし。 それが私達の願いです。
創業昭和2年。製材のプロフェッショナルとして木とともに時代とともに、私たちの会社は長い歴史を生きてきました。
そして21世紀に入り時代を生きることの意味を考えています。
エコロジーの重要性が叫ばれ天然資源の大切さが問われる今ほど木材に関わる私たちの役割の大きさを知らされる時はありません。
日本の森林面積と成長率、木材消費量を計算すると大事に育て大事に使うことで永久に役立つ有効な資源だからです。
岡山県北部、真庭市。ここは緑豊かな美作材の里。
ここでは、人々の明日のために新しい芽が息吹き、新しい葉が息づき真っ直ぐな幹が伸びて生きます。
木の生命力に触発され私たちは着実なビジョンのもとに歩き続けます。

昭和41年の移転風景

現在の風景
社名 | 山下木材株式会社 |
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代表者名 | 山下 昭郎 |
所在地 | 〒719-3203 岡山県真庭市富尾218 |
電話 | 0867-42-1100 |
FAX | 0867-42-1102 |
設立 | 昭和25年10月 |
従業員 | 44名 |
資本金 | 4,500万円 |
沿革
昭和2年 | 兵庫県宍粟郡山崎町にて山下松治、製材を開業。 |
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昭和14年 | 山林資源を求めて岡山県へ工場の移転を計画、調査を行なう。 翌年岡山県真庭郡久世町、駅前に用地を確保する。 |
昭和16年 | 兵庫県より岡山県への工場移転完了、操業開始。 |
昭和18年 | 戦時下の国策により工場を岡山県木社へ強制買収される。 |
昭和21年 | 終戦により岡山県木社解散、工場を返還され再び山下製材所として再出発。 |
昭和25年 | 組織替を行ない山下木材株式会社となる。 初代社長 山下松治 |
昭和29年 | 工場の全面改造を行ない、建物・機械を新たにする。 |
昭和31年 | 大阪出張所を大阪市西淀川区大和田束2-1に開設。 |
昭和35年 | 山下松治社長死去、二代目社長に山下タケノ就任。 |
昭和41年 | 工場を久世町富尾へ移転、旧工場を第二工場として残す。 |
昭和45年 | 第二工場を富尾本社工場の横に移転、旧工場は資材倉庫とし現在に至る。 |
昭和46年 | 農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS)の認定工場になる。 |
昭和48年 | 山下タケノ会長に昇格、山下忠雄三代目社長となる。 岡山営業所用地として岡山県児島郡藤田村錦673に土地を確保。 |
昭和49年 | 岡山営業所開設。 |
昭和58年 | 山下忠雄会長に昇格、山下順次四代目社長となる。 |
昭和59年 | 木材乾燥設備(1号乾燥機)導入。 |
昭和63年 | 加工部門の設備更新により加工工場を建設。 |
平成3年 | 創立65周年事業として第一工場機械設備の全面更新及び、65周年記念式典を行なう。 |
平成4年 | 本社事務所の建設。 工場及び乾燥施設の増設、以後随時増設する。 |
平成8年 | 創立70周年事業としてプレカット工場(真庭プレカット)を新設、 70周年記念式典を行なう。 |
平成9年 | 高温乾燥機を導入、以後順次増設。 |
平成14年 | 山下順次会長昇格、山下豊五代目社長となる。 木屑だきボイラ新設。 |
平成15年 | グレーディングマシン導入。 |
平成16年 | 四面背割柱の量産化を開始。更に乾燥設備を増設し乾燥材生産能力を全生産量の70%まで高める。 プレカット工場に羽柄材加工機を導入。 |
平成17年 | 第二工場に間柱生産ラインを新設。 |
平成18年 | 合法木材事業者認定を取得する。 |
平成19年 | 第二工場に無人ツインバンドソーを新設、合わせて丸太皮剥き機を更新。 |
平成20年 | FIPC木材表示推進協議会会員となる。 |
平成21年 | JAS人工乾燥構造用製材(Aタイプ)認定工場となる。 |
平成23年 | 岡山営業所を岡山市南区藤田から岡山市南区浦安本町へ移転。 |
平成25年 | JAS機械等級区分製材の認定工場となる。 |
平成26年 | 乾燥設備3台増設、ほぼ100%人工乾燥できる体制を整備。 |
平成28年 | SGEC認証を取得する。 |
平成30年 | 第57回農林水産祭に於いて日本農林漁業振興会 会長賞を頂く。 | 令和元年 | 新たにグレーディングラインを増設する。 |
令和2年 | JAS機械等級区分製材でヒノキ平角の認定を取得。これにより機械等級区分で、スギ・ヒノキの角類、平角類全ての量産体制を確立する。 |
令和4年 | 山下豊会長昇格、山下昭郎六代目社長となる。 |